水稲農家 山本覺(やまもとさとる)
自己紹介
はじめまして、青森県つがる市でお米を作っている山本覺(山本覚)と申します。昭和19年生まれです。78歳を過ぎ、離農まで残り少なくなったので、徐々に作付け面積を減らしております。
母が病弱だったため、小学生のころから父親と二人で田んぼに入り米作りをしてきました。中学校を卒業してからは訓練校で溶接を学んだり、長期間の泊りがけで体育館の建設現場へ行き、丸太足場を組んで簡単な大工仕事をしたりと、重労働でしたが楽しみながら仕事をしていたので、今でも当時の記憶が鮮明に蘇ります。所帯を持ってからは、春から秋にかけて米作りと土方(どかた)仕事をして、冬は愛知県へ出稼ぎへ行くという生活を35年続けておりましたので、お世話になった愛知県には親しみを感じ、今でも第二の故郷のように思っております。
私の妻は57歳の時、交通事故に巻き込まれ亡くなりました。それからは一人で米作りをしています。私の残りの歳月は、自然の恵みに感謝し環境に配慮した米作りに捧げるつもりです。青森津軽の田舎者が作ったお米ですが、皆様の心があたたかくなるようなお米を作りたいと思っておりますので、最後までお付き合い頂けると幸いです。
生産・販売者 山本 覺(やまもと さとる)



生産地:青森県つがる市木造(きづくり)
豪雪地帯・津軽の厳しい冬が終わるにつれて、世界遺産・白神山地の自然豊かな雪融けの「水」が大地を潤し、浄化された土壌では微生物が活発に働くことで肥沃な「土」を作りあげます。

縄文の古代ロマンが眠る神秘的な大地でお米を作っています

西津軽地方つがる市木造は、縄文時代前期〜中期の田小屋野貝塚遺跡や、縄文時代晩期の文化が開花したといわれる亀ヶ岡石器時代遺跡があり、木造亀ヶ岡地区は遮光器土偶が出土した縄文集落でもあります。江戸時代から広く知られていたため、乱掘も多く出土品は江戸、長崎、遠くオランダまで輸出されました。国重要文化財に指定されている遮光器土偶をはじめ、装飾を施した土器、籃胎漆器、精巧な石器、ヒスイ玉など縄文人の知恵や技術が集結された美術価値のある多数の出土品は、高度な技術を持つ発達した縄文文化を裏付けしており、亀ヶ岡石器時代は1万年もの間続いた縄文時代の最後を飾りました。