北前船(千石船)
青森といえばりんご産地の印象が強いですが、津軽(東日流 つがる)では江戸時代から藩主導のもと新田開発が進められていたため、昔から米作りをしている稲作人が多くいました。江戸時代に北海道から大阪を日本海回りで寄港しながら航海していた商船・北前船(千石船)に、米や海産物などが積まれ、大阪からは「綿地の古着」徳島からは「藍」が運び込まれたため、こちら北国でも藍染めをするようになり「裂き織り」や「刺し子」の布地が、麻から綿に変わっていったと云われております。
北前船での行き来があった時代の名残が方言になったのかは分かりませんが、値段や歳を聞く時「なんぼ?(いくら?)(何歳?)」「なんぼなんでも(いくらなんでも)」など大阪弁とおなじように津軽弁でも「なんぼ」を使う言葉が多くあります。それから、「大阪」という名字の由来ですが、北前船に乗ってきた大阪商人が青森に移り住み「大阪を忘れないために大阪という名字を名乗った」ということです。


